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文庫本の歴史  —レクラム文庫と岩波文庫—

場所:図書館2階 閲覧室
期間:1997年10月
 日本の出版界において、現在小型で低価格な文庫本が、ハード・カヴァー本より販売面で優勢なのは言うまでもありません。
 今年は岩波文庫創刊70年にあたります。 1927年7月10日、 「生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街灯にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう」 と発刊に際して掲げ、 夏目漱石『こころ』、プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』など22冊を刊行して以来、 今日まで総刊行点数は約5,000、総刊行部数は3億数千万部を数えます。 現在も月々4〜8点、年間56点、ペースで新たな古典が生れています。

 文庫とは、いったい何なのでしょうか。
 平凡社『世界大百科事典』(1972年版)文庫の項目には、

1. 書物のくらという意味から、図書館と同様に用いられている。
2. 装丁の大きさなどを一定にして、継続的に出版される一連の図書群で、 世界のあらゆる方面の名著を広く集めたもので、 刊行の終期が予定されていない継続出版物である。
1927年から刊行されている岩波文庫、1928年からの新潮文庫、1929年の改造文庫、 第二次世界大戦後では角川文庫その他がある。 イギリスのエブリマンズ・ライブラリーやドイツのレクラム文庫などを範にとったもので、 これらを一揃い備えることによって小図書館の効果を得られるというのが、 この名称の由来するところと思われる。形態も一般に小型である。(岡田温)
と記されています。

 世界のあらゆる方面の名著を広く集めた、わが国で最初の本格的な文庫、 岩波文庫について、平凡社『世界大百科事典』(1972年版)では、

1927年(昭和2)岩波書店から創刊されて小型の廉価版双書。 いわゆる<円本>流行の時代を背景に、岩波茂雄の発案と抱負にもとづき、 範をドイツの<レクラム文庫>にとって計画され、A6版仮とじ、 100ページで星一つ20銭とする新しい形式を採用し、 廉価版の特色をさらに徹底させた。
内容は古代から現代に及ぶ日本文学はもとより、 世界の文芸・学術の全野における主要著作の的確な校訂・翻訳であって、 種類は多方面にわたるが、古典的価値をもつものに限っている。 この文庫の発刊は当初から異常な反響をよび、 以来、書目は着々と増大されて広範な読者層をつかみ、 日本に知識層の拡大に寄与した役割は大きい。(林達夫)

岩波文庫以前にも、文庫は存在していたとして、 『文庫—そのすべて』の著者でもある矢口進也氏は『袖珍名著文庫』(冨山房)明治36刊(1903)をあげている。

*所蔵 『狂言五十番』 芳賀矢一校訂 冨山房  1926(袖珍名著文庫)

 大正3年(1914)創刊の「アカギ叢書」は、 キャッチフレーズに「日本のレクラム」とうたい手軽さと低価格で普及しましたが、 それは名著のダイジェスト版にすぎなかったようです。

*所蔵 『幻の海 附イエーツ評伝』  ウヰリアム・バツラア・イエーツ作;栗原古城訳 赤城正蔵  1914(アカギ叢書第64篇)

   岩波文庫のような小型の廉価版の刊行は、 文化の発展と時代の要求によって遅かれ早かれ実現すべきものでしょうが、 模範となるべき文庫がなければ、 もっと遅くなったかも知れません。 模範となるべき外国の文庫本としては、 ドイツのレクラム社から刊行されたレクラム文庫(Reclams Universal Biliothek)、 イギリスのカッセル文庫(Cassell National Library)が挙げられます。

 「袖珍名著文庫」(冨山房)が範としたのは、 矢口進也氏によると、カッセル文庫だといわれます。
 イギリスのカッセル文庫(Cassell National Library)は、 イギリスのカッセル社より、1886年(明治19)−1890年(明治23)の5年間に刊行されました。 小説、戯曲、伝記、歴史、宗教、科学、芸術を収録しています。

*所蔵 『Antony and Cleopatra』 William Shakespeare  London Cassell & Co.[n.d.] (Cassell's National Library) 

 ドイツのレクラム文庫は、 岩波文庫の「範をかのレクラム文庫にとり」と記されているとおり、 直接の模範とされました。
 平凡社『世界大百科事典』(1972年版)で、レクラム文庫について、

1828年、ドイツのライプチヒにレクラム出版社を創立したアントン・フィリップ・レクラム(Anton Philipp Reclam, 1807-1896)がその子ハインリヒ・H・レクラム(H. H. Reclam, 1840-1920)と力をあわせて、 1867年に創刊した有名な文庫。
最初の名称は<世界文庫(Universal-bibliothek)>であるが、 日本では出版社にちなんだ<レクラム文庫(Reclams Bibliothek)>の呼称が一般に用いられている。
ドイツをはじめ世界諸国の文学、哲学、宗教、美術、音楽、政治、法学、経済、歴史、 地理、自然科学など百般にわたるすぐれた内容の著作を、 原則として小形本1冊に収め、 100ページ前後を星一つに換算する廉価普及版で、 内容の厳選と公正の精密で知られているが、外国文学からの翻訳が多く、 随筆や日記類の少ないことにも特色がある。
<岩波文庫>は範をこの文庫にとった。
創刊以来100年のあいだにドイツは普仏戦争、ドイツ帝国の統一実現、 第一次世界大戦、ナチズムの横行、第二次世界大戦とその破局、 東西ドイツの分裂など、めまぐるしい国家の興亡を経験し、 <レクラム文庫>の経営にも多くの苦心と困難が伴ったにもかかわらず、 今までに刊行した点数は9,000を越える。
ライプチヒの本店は1950年来東ドイツ政府の信託下に移ったが、 47年西ドイツのシュトウットガルトから別に同文庫を刊行している。(寿岳文章)

 東西ドイツの統一現在、ドイツ西南部のシュトウットガルトにあるレクラム社においては、 創刊時から現在までの全ての文庫本のバックナンバーを一同に会する事ができます。

 15世紀半ばのグーテンベルクによる印刷術の発明は、 一部の人々に独占されていた書物を広く一般の世界に解放しました。
 レクラム文庫が創刊された1867年(慶応3)は、 日本では江戸時代最後の年にあたり、 アントン・フィリップ・レクラムが出版業に専念してから30年後のことになります。 ドイツではビスマルクによる統一(1871年)の4年前のことです。

 また、1867年という年は、 ドイツの出版史の中で長い紆余曲折を経た著作権制の確立を背景としています。
 1837年に著作権保護に関する法律を制定し、 著作権保護を死後三十年としました。
「今後死亡する著作者の著作権保護期間は死後三十年間とする。 また1837年11月9日以前に死亡していたすべての著作者の作品の保護期間は、 出版社との特別の取り決めがない限り、 その三十年後の1867年11月9日を持って消滅するものとする」
 ゲーテ、シラーを初めとするドイツの古典作家たちがほとんど1837年以前に亡くなっていたため、 その三十年後の1867年以降には、 著作権料を支払わなくても自由に出版できるようになったからです。

 まずゲーテの「ファウスト」第一部・第二部が刊行されました。 当初は他の出版社も古典の廉価版を出版し、 レクラム文庫もそれほどは注目されていたわけではなかったようです。 レクラムは、経営方針として、まず書物を小型化し、 叢書(シリーズ)物も分売に応じ、 各巻の背表紙に星印をつけ、 一目で価格が読者にわかるようになりました。 ゲーテ、シラーの古典主義作家の作品を刊行しましたが、 しかしその後には、文学、哲学に限らず、あらゆる文化百科全書的な叢書となっていきました。

 1912年には、「自動販売機」による文庫の販売が開始されました。 人手の入らない「書物販売所」として、 人がたくさん集まるところならどこでもよいわけで、 喫茶店、ビアガーデン、鉄道の駅の構内などに設置されました。 大変ユニークな試みとして世間に注目されましたが、 販売機の故障などにより、 1940年には撤去されてしまったそうです。

 レクラム文庫は、 明治時代の中頃1890年代には、日本に入ってきました。 ドイツ文学者吹田順助氏は、 雑誌「文庫」24号(1953.9)の「岩波文庫とレクラム文庫」の中で、 「レクラム文庫というと、 今の学生のなかにはピンと来ないものも少なくなかろう。 ところが私どもの学生時代から今度の世界大戦以前の、 ドイツ語をやっている学生なら、 レクラム文庫にはずいぶんお世話になったもので、 とりわけずっとむかしは、 今のように翻訳書も出ていなかったので、 一部の学生は英語ならキャッセル、 ドイツ語の方ならレクラムを買って、 字引と首ッぴきで勉強したものである。 それがまたホシ一つ、当時の十銭という定価だったから、 貧乏書生でもらくに買えた。 むろん学生ばかりではなく、 一人前の学者からも利用された。 故岩波君が書店をやり出してから数年にして、 岩波文庫の刊行に着手したのも、 学生時代に親しんだであろうところの、 レクラム文庫への追慕の念を活かしたわけであろう。」

 二人の先駆者は、 低価格な小型本の出版を通じて人々に教養の糧を提供し、 文化の進展に貢献しようとしたのです。 どちらも高い志と理想主義的な出版の理念を堅持し、 同時にその理想を実現するためのしたたかな経営的な才覚を持っていた点も共通していると思われます。

 岩波文庫創刊70年記念『岩波文庫解説総目録 1927-1996』の中で、 「岩波文庫が歩んできた70年は、 ちょうど昭和以降の日本の歴史と重なる。 この社会的にも文化的にも激動の時代、 岩波文庫は、戦争の最も激しい時期を含め、 1年も休むことなく刊行され続けてきた。 現代日本の文化受容の足跡を映すものである」と、 述懐されています。


主な文庫の目録

(1997年10月現在所蔵)

 但し、レクラム文庫は、 Deutsche Literaturのみ173冊、 岩波文庫はワイド版も含め1,702冊所蔵していますので、 それ以外の初期の文庫本をとりあげました。

*袖珍名著文庫 1903年(明治36)創刊
『狂言五十番』 芳賀矢一校訂 冨山房 1926

*アカギ叢書 1914年(大正3)創刊
『幻の海 附イエーツ評伝』 ウヰリアム・バツラア・イエーツ作;栗原古城訳 赤城正蔵 (アカギ叢書第64篇) 1914

*Cassell's National Library (カッセル文庫) 1886年(明治19)創刊
『Antony and Cleopatra』 William Shakespeare  London  Cassell & Co.  [n.d.]

*改造文庫 1929年2月(昭和4)創刊
『藝術とは何ぞや』 トルストイ著 木村毅訳 (改造文庫 第1部 第86篇) 改造社 1932
『井泉水句集』 尾崎久弥編 (改造文庫 第2部 第90篇) 改造社 1929
『草雙紙選』 尾崎久弥編 (改造文庫 第2部 第168篇) 改造社 1932

*新潮文庫 第3次 1933年4月(昭和8)創刊
『芭蕉風景』 萩原井泉水著 (新潮文庫 291編) 新潮社 1941
『芭蕉研究 蕪村研究』 太田水徳,河東碧梧桐著 (新潮文庫 164編) 新潮社 1941
『一茶研究』 萩原井泉水著  (新潮文庫 303編) 新潮社 1938
『バイロン詩集』 バイロン著;幡谷正雄譯 (新潮文庫 84編) 新潮社 1941
『日本二千六百年史物語』 高須芳次郎著 (新潮文庫 413編) 新潮社 1939

*春陽堂文庫 1931年12月(昭和6)創刊
『カスター・ブリッヂの市長』 前・後編 トマス・ハーディ著;宮島三郎訳 (春陽堂文庫 1011,2008) 春陽堂書店 1940

*冨山房百科文庫 1938年5月(昭和13)創刊
『列強現勢史・東中欧諸国』 大類伸著 (冨山房百科文庫 81) 冨山房 1939
『序曲・入江のほとり』 キャサリン・マンスフィールド著;佐々木直次郎訳 (冨山房百科文庫 84) 富山房 1939

*教養文庫 1939年2月(昭和14)創刊
『尾崎紅葉』 福田清人著 (教養文庫 94) 弘文堂書房 1941
『日本文化の話』 長与善郎著 (教養文庫 26) 弘文堂書房 1939

参考文献

『文庫—そのすべて』 矢口進也著 図書新聞 1979
『岩波文庫物語』 山崎安雄著 白凰社 1962