展示
ハーンの見た日本
場所:分館(関屋キャンパス)1階閲覧室期間:2004年9月3日(金)〜10月8日(金)
年譜
来日前| 年 | 月 | できごと | 著作 |
|---|---|---|---|
| 1850 | 6 | 27日 、ギリシアのリュカディア島(現レフカス島)に生まれる(イギリス人)。 父はチャールズ・ブッシュ・ハーン(アイルランド系の英国陸軍軍医)、母はローザ・カシマティ(ギリシア人女性)。 |
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| 1851 | アイルランドへ帰る。 | ||
| 1856 | 父母離婚。大叔母に引きとられる。 | ||
| 1863 | ダラムのローマ旧教の学校に入学。在校中遊びで左眼失明。 | ||
| 1866 | 退学。父、スエズで死亡。 | ||
| 1867 | フランスのイーヴトにあるカトリックの神学中学校に入学、間もなく退学。 | ||
| 1869 | 渡米。職を転々としながら、文筆で身を立てるべく勉強に励む。 | ||
| 1874 | 「シンシナティ・インクワイアラー」の記者となる。 | ||
| 1876 | シンシナティ・コマーシャル社に入社。 | ||
| 1877 | ニュー・オーリンズヘ移る。 | ||
| 1878 | 「デイリー・アイテム」の記者となる。 | ||
| 1881 | タイムス・デモクラット社の文芸部長として迎えられる。 | ||
| 1882 | 翻訳集『クレオパトラの一夜他』 | ||
| 1884 | 『異文学遺聞』 | ||
| 1886 | 新聞社を辞し、ニューヨークへ。 | ||
| 1887 | カリブ海のマルチニーク島に2年あまり滞在。紀行文を書き、現地の民話を収集してまとめる。 | 『中国怪談集』 | |
| 1889 | ニューヨークへ帰る。 | 『チタ』 |
| 年 | 月 | できごと | 著作 |
|---|---|---|---|
| 1890 | 4 | 「ハーパース・マンスリー」誌特派員として来日。 横浜港着。 | 『仏領西印度諸島の二年』 |
| 5 | 契約のもつれで「ハーパース・マンスリー」と絶縁。 | 『ユーマ』 | |
| 8 | 松江中学に赴任。 | ||
| 12 | 小泉セツと結婚。 | ||
| 1891 | 11 | 熊本の第五高等中学に転任。 | |
| 1892 | 11 | 長男一雄誕生。 | |
| 1894 | 11 | 神戸クロニクルの記者となる | 『知られざる日本の面影』 |
| 1895 | 『東方から』 | ||
| 1896 | 2 | 日本に帰化。名を小泉八雲と改める。この名前は『古事記』からとったもの。 | 『心』 |
| 8 | 東京帝国大学の教員となる。 | ||
| 1897 | 2 | 次男巌誕生。 | |
| 1898 | 『異国風物と回顧』 | ||
| 1899 | 夏 | 焼津に逗留。1904年まで、毎夏焼津を訪れるようになる(1903年は、ドクターストップがかかり中止)。 | 『霊の日本』 |
| 1900 | 12 | 三男清誕生。 | 『影』 |
| 1901 | 12 | 西大久保に転居。 | |
| 1902 | 『日本お伽噺』 『骨董』 | ||
| 1903 | 2 | 東京大学解雇。 早稲田大学で教鞭をとる。 | |
| 9 | 長女寿々子誕生。 | ||
| 1904 | 4 | 早稲田大学文学部講師として招聘を受ける。 | 『怪談』 |
| 9 | 26日、狭心症のため急逝。雑司ケ谷墓地に埋葬(法名「正覚院浄華八雲居士」)。 | 『日本』 |